先史時代〜1500年 古代王国とイスラムの到来
インドネシアにおけるヒンドゥー教- 仏教文化の伝来とその展開
大小いくつもの島々からなるインドネシアでは、人々は必要物資を調達するために海を渡る必要があった.その必要性は各島々を結ぶ、海上航路の整備に繋がり、その範囲はやがて大陸にまで及んでいく.大陸では、ローマ帝国と中郷都を結ぶ東西貿易が盛んであり、インドネシア地域の海上航路における諸地域インド- 中国との貿易で賑わった.今日のインドネシア文化、言語に至るまで概観すると、サンスクリット語、文学の影響を見ることができる.また、この頃、コショウやチークやその他多くの植物が流入する.スリヴィジャヤ、シャイレーンドラ朝の王達は仏教徒であったが、のちにヒンドゥー教の王に取って代わられる.仏教もヒンドゥー教も今日ではインドネシアの公認宗教である.
※以下、年表の⚫︎で始まる内容にはインドネシア史に関わる内容を、インデント下げ⚪︎には世界での主に科学史的発明や出来事を記載している
– 紀元前500年頃
- インドネシア地域と他の国との交易がどの時点から始まったのかということについては、正確な資料は存在しないが、中国に残された資料からこの時代にジャワの北部と、中国南部、東南アジアの大陸部、インド半島の東側とは既に繋がりがあったことが示唆されている。
– 紀元前200年頃
- インドネシアにおける仏教の布教は「ダルマドゥータ」という導師によって行われたと推測されている.栄えたのは大乗仏教で、主にジャワ中部のシャイレンドラ朝とスマトラのスリウィジャヤ王国で深く帰依した.
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- フェニキア人の船舶による地球一周
- ギリシャ人のアリスタルコスが太陽を惑星公転の中心と考える.
- エラトステネスが誤差1.5以下で地球の円周を測定する.また、北西はイギリス、東はガンジス川河口、南は全アフリカに及ぶ世界地図の作成を行う。
- ヒッパルコスが地球から月までの距離と誤差6分板にで太陽年を算出する.
– 紀元前100年頃
- ローマ帝国の皇帝がマルク地域産のクローブやヌサ・テンガラ・ティモール産と思われる伽羅をインドの港経由で手にしていた記録があり、インドネシアの交易船はこの頃にはアフリカの東海岸まで交易路を広げていた可能性がある.
- アレクサンドリア図書館には70万冊に及ぶ写本や公文書が貯蔵されており、それらの書物は大量に写本され、当時の文明世界へ普及する.
– 100年頃
- “Dvipantara”(ヌサンタラ、島郡)、”Java Dwipa”(ジャワの島々)の存在が、この時代のジャワ、スマトラ地域にいたインドの学者により報告される
- Aji Saka王子が南インドの文書体に基づいた、記述体系をクタイ王国にもたらす.
- クタイ王国は東カリマンタンのマハカム川上地域に位置しており、その名称を記した資料がないためにこの王国の存在が記述された碑文の出土地方の名前を取って「クタイ王国」と名付けられた.
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- アレクサンドリア図書館には70万冊に及ぶ写本や公文書が貯蔵されており、それらの書物は大量に写本され、当時の文明世界へ普及する。
– 200年頃
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- 緯度と経度の記されたプトレマイオスによる円錐図法の世界地図。
– 200年頃
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- 中国で羅針盤が発明される。
– 400年頃
- タルマ王国が西ジャワ地域に栄える.
- タルマヌガラ王国はプルナワルマン王の治世中には現在のボゴール市を中心にバンテン、ジャカルタ、チレボンを含む西ジャワ地域一帯に勢力を広げていたと推測される.
– 425年頃
- 仏教がスマトラに到来する.ヒンドゥー教.インドの影響を受けた初期の文明がジャワ、スマトラ地域に興る.
– 500年頃
- スリウィジャヤ王国がスマトラ南部のムシ川流域、現在のパレンバン近くで興る.
- スリヴィジャヤ王国は、当時インド- ローマと中国とを結ぶ唯一の交易路の要衝であった、マラッカ海峡一体を掌握していたためその存在は、インドネシア地域にとどまらず、遠方の国々地域にまで知れ渡っていた.
– 600年頃
- インドからの開拓者が中央ジャワのプランバナンに到来する.
– 642年
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- アレクサンドリア図書館がイスラム教徒により完全に焼失する
– 650年頃
- 西ジャワのタルマ王国がスリヴィジャヤ王国に征服される.
– 670年頃
- 中国からの義浄という僧がスリヴィジャヤ王国の首都であるパレンバンを訪れる.
- ヒンドゥー教寺院が中央ジャワのディエン高原に建設される.
– 683年
- ダプンタ- ヒャン(Dapunta Hyang)という名のスリヴィジャヤ王が2万もの兵を引き連れてミナンガタムワンを征服する.ミナンガタムワンは交易地として非常に戦略的であったジャンビのビナガ地域であったと推測されている.
– 686年
- スリヴィジャヤがジャワ地域に調査団を送る.この頃の「コタ- カプール」刻文からはスリヴィジャヤに忠節を尽くそうとしないジャワ地域への侵攻を望んでいることが記されている.
– 700年代
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- ムーア人のスペイン侵略により、アラビア数字と代数学がもたらされる。
– 732年
- この年のチャンガル刻文によると、サンジャヤ王はマタラム王国を立国した賢君であったことが記されている.サンジャヤ王はヒンドゥー教のシワ派の導師を招聘し布教を行ったため、マタラム王国ではシワ神が最高神格として信奉されていた.
– 770年頃
- シャイレンドラ朝の王、ウィヌス王がボロブドゥール寺院の建設を始める.またこの頃、プランパナン寺院の建設計画も始まる.
– 8世紀末
- シャイレンドラ朝を治めていたサンジャヤ王家はマタラム地方の有力者であったシャイレンドラ王家によって苦境に立たされる.サンジャヤ王家(ヒンドゥー教)には常にシャイレンドラ王家(仏教)の圧力がかかり、例えば、778年のカラサン刻文によるとサンジャヤ王家のラカイ- パナンカラン王はシャイレンドラ王家のウィヌス王によるカラサン仏教寺院建造の命に従わざるを得なかった.
– 790年頃
- シャイレンドラ王国がチェンラ(現カンボジア)に侵攻、12年に渡ってこの地域を支配する.
- シャレインドラ朝は8世紀中頃に中部ジャワ南部のバグランおよびジョグジャカルタ地方に存在していたと判明している.また、同じ南部の山岳地方では、ラトゥ- ボコ宮殿跡が発見され、そこがバラプトラ- デワ王時代の王都所在地だということが判明している.
- バラプトラ- デワ王は、もともとジャワ中部のシャイレンドラ朝の末裔であり、実姉のプラモダワルダニとの戦いに敗れ、スリヴィジャヤ王国に亡命する.統治のスリヴィジャヤ王であったダルマ- ストゥルには子孫がいなかったため、彼は迎え入れられ、のちに国王に任命された.
- この内紛の原因となったのはマタラム王国のラカイ- ピカタン王の存在である.ラカイピカタンは中部ジャワ地域の制覇を目標に掲げていたが、同地域のシャイレンドラ王国の力があまりにも強かったため、プラモダワルダニを后に迎える策略をとった.当時、プラモダワルダニは王位継承権を弟のバラプトラ- デワに譲っていたが、ラカイ- ピカタン王はプラモダワルダニに王位を奪取するように強制し、内紛につながっていく.
– 800年代
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- バグダッドのアル・フワーリズミーがアラビア語でゼロの機能と記数法に関する論文を書く
– 825年頃
- シャイレンドラ王、サマロトゥンガ(ウィヌス王の孫)がボロブドゥール寺院を完成する.
- シャイレンドラ王国がマレーのケダ地域を征服する.
– 835年頃
- サンジャヤのパタパンがシャイレーンドラ朝の王位を取り、ジャワにおける仏教をヒンドゥー教にとって変える.バリトゥン王が中央ジャワを統治する.
– 850年頃
- バラプトラ- デワ王がシャイレンドラ朝の実権を要求し、スリヴィジャヤにおける力を強める.新たなサンジャヤ王の中央ジャワのダクサがプランパナンにヒンドゥー教寺院の建設を始める.ボロブドゥールは数マイルに及ぶ火山を横断するように建つ、建造物群であり、今日のマゲランとジョクジャカルタの間に位置する.この頃までに、仏教文化がロンボク島まで広がる.
– 929年
- マタラム出身のサンジャヤ王、ムプ- シンドックが王宮をマタラムから東ジャワに移し、ムダン- カムラン王国を創始する.シンドック王退位後の歴史を記した刻文はなく、ムダン- カムラン王国は一旦歴史から姿を消すが、アイルランガ王が王位につくと再びムダン- カムラン王国に関する刻文が出現する.
– 975年頃
- バリのウダナヤ王、後のアイルランガの父が生誕する.
– 990年
- スリヴィジャヤがムダン- カムラン王国に侵攻される.
- 中部ジャワに存在した、サンジャヤ王系統の古マタラム王国の中枢はブミ- マタラムと呼ばれる地方にあった.この地方は数多くの河川の流れる沃地であった.土地の豊かさから農業が盛んであり、総人口の多さが国力の大きな中心であった.
– 1000年代
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- レイフ・エリクソンがアメリカに到達する
- 中国で火薬が発明される
- アルハゼンによる最初の実像レンズ
- イブン・シーナーが医学に関する「医学典範」と錬金術に関する「魂について」を出版
– 1006年
- スリヴィジャヤが攻勢に転じ、ムダン- カムラン王国の首都を壊滅させる.
– 1017年
- 南インドのラージェーンドラ1世がスリヴィジャヤに侵攻する.
– 1019年
- アイルランガが東ジャワを統治する.カフリパン王国が発見され、スリヴィジャヤ王国と親交を築く.ヒンドゥー教と仏教の両宗教が保護される.アイルランガ王はその支配地域を中央ジャワ、西ジャワ、バリへと拡大していく.
- アイルランガ王の母親マヘンドゥラダッタはシンドック王の母方の血縁筋にあたり、バリのウダヤナ王との間にアイルランガが生まれた.アイルランガは16歳の時、ムダン- カムラン王国の血筋であったダルマワンサを娶るが、成婚の儀の際に敵国からの奇襲にあう.アイルランガは重臣であったナロマッタと森林深くに身を隠し敵の目を欺くために苦行僧のような生活を送る.1019年に民衆の強い要望を受け、アイルランガは新たな王としてイシャナ朝(ムダン- カムラン王国)の再興を誓う.
– 1025年
- 南インドのラージェーンドラ1世がマレー半島をスリヴィジャヤより奪い、以降20年にわたって支配する.
– 1045年
- アイルランガが東ジャワを二つの王国、ジャンガラ(現在のスラバヤ)とクディリに分け、二人の息子にそれぞれ統治させる.
– 1068年
- コロマンデル王、ヴィラ- ラジェンドラがスリヴィジャヤからケダハを奪う.
– 1100年
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- ボローニャ大学設立
– 1105年
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- ヨーロッパで風車の最初の記録
– 1118年
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- ムーア人が大砲を使用
– 1135年
- ジョヨボヨ王がケディリを統治する(~1157年まで).
– 1122年
- トゥマペルの統治者、ケン- アロクがジャンガラとクディリを奪取し、シンガサリ王朝を設立する.シンガサリ王国は飛躍的に勢力を伸ばし東ジャワ一の大国となる.
– 1144年
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- 日本で紙の使用
- アラビア語の文献翻訳によって、錬金術がヨーロッパに伝来する
– 1147年
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- 大文字のための木版使用
– 1180年
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- 固定操縦舵の登場
– 1190年
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- フランスのエローに製紙工場
・1200年
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- アル・フワーリズミーの「ゼロ論」がラテン語に翻訳され北アフリカのカルタゴで出版される
– 1227年
- ケン- アロクがアヌサパティの謀反によって最期を遂げる.アヌサパティはケン- アロクの義理の息子であった.
– 1230年
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- 中国で熱気球の発明
– 1247年
- アニュサパテイの即位後、20年の平和的統治統治が続く.しかし、ケン- アロクの暗殺の真相を知った、ケン- アロクの内妻との子であったトジャヤが報復を企てる.彼は闘鶏好きだったアニュサパテイを自邸に招き、闘鶏に夢中になっているところでアニュサパティが携行していた短剣でひと突きし敵討を成し遂げ、シンハサリ王に即位する.
– 1250年
- 反乱によりトジャヤが殺害される.アニュサパティの息子のウィスヌワルダナが即位する.
- ヒ素の発見
– 1260年代
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- 回転式磁気羅針盤の登場
– 1268年
- シンサハリ王ウィシュヌワルダナが死去し、クルタナガラが即位する.クルタナガラの代にはヒンドゥー教と仏教の混合が進む.
– 1270年代
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- ウィテロのレンズに関する論文
- ロジャー・ベーコンによる複合レンズ
- 絹糸巻き機の登場
– 1275年
- クルタナガラがジャンビ地域を征服する.
– 1280年代
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- 農業実践概論
- メガネの登場
– 1281年
- ジャンビのイスラム教徒がモンゴルのクビライ- ハンに使節を送る.
– 1284年
- クルタナガラがバリを掌握する.これによって、ジャンビがスマトラに独立王国としての地位を確立する.
– 1289年
- クビライ- ハン1在位中、雲南・北部ベトナム・ビルマ・チャンパー・ジャワに次々と遠征し東南アジア圏の海のシルクロードを支配下に収めようとしたはシンサハリに朝貢2華夷思想を持つ中国は対等関係を認めず、朝貢した周辺諸国の君主に対し中国の王侯の称号、官名を与えて「冊封」(属国化)したを求めて使節を送る.クルタナガラは使節の顔を切り裂き国に送り返す.
– 1290年
- クルタナガラがスリヴィジャヤを征服する.
– 1292年
- マルコ- ポーロがスマトラ、ジャワを訪れる.また、クビライ- ハンが1000隻もの船を率いてジャワを侵攻する準備を進める.クルタナガラがクディリ王国の末裔であるじゃヤカトワンの宮廷反乱により殺害される.その際、クルタヌガラの婿養子であったラデン- ウィジャヤは脱出に成功し、マドゥラ領主アルヤ- ウィララジャに保護を求めた.
- バリがシンガサリから離脱する.
– 1293年
- クルタヌグラ王攻略を目的とした元軍の襲来をウィジャヤはじゃヤカトワン奇襲に利用した.モンゴルと協定を結び、ジャヤカトワン率いるシンサハリの残党の討伐にあたる.3月にはモンゴル、中国、マジャパヒトの連合軍によりクディリが陥落する.マジャパヒト帝国は日本、エジプトと同じく、当時モンゴルの侵攻に敗走しなかった数少ない国のひとつとなる.
- 1293年~1309年までの在位中、ラデン- ウィジャヤはクルタヌグラの4人の王女を后として娶った.
– 1295年
- スマトラのサムドゥラ- パサイ王国がイスラムに改宗する.
- サムドゥラ- パサイ王国はインドネシアで最初にイスラム教を信奉した国である.この王国は商業上、非常に重要な拠点であり、東西からやってくるイスラム商人の中継港でもあった.
– 1300年代
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- 船の羅針盤の登場
– 1309年
- ラデン- ウィジャヤ死去.その遺体は2箇所に埋葬される.アンタプラ寺院ではジナ(ブッダ)の姿で、またブリタール付近のシンピン寺院ではウィヌス神とシワ神の姿で祀られた.ラデン- ウィジャヤは、カラ- グメットという名の王子を一人残して死去した.この王子がジャヤヌガラという称号を持ってマジャパヒト王に即位する.
– 1310年
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- デ・ルッチによるヒトの身体の解剖
– 1313年
- ジュル- デムンによる謀反が起こる.
– 1314年
- ガジャ- ビルによる謀反が起こる.
– 1316年
- ナンビによる謀反が起こる.
– 1319年
- クティが謀反を起こす.この反乱はとりわけ強烈で、マジャパヒト王国は危機に瀕する.ジャヤヌガラはやむなくガジャ- マダ率いる親衛隊と共にべダンデル村(この地は現在も所在不明)に避難.クティ襲撃の準備を整え、後に一味の殲滅に成功する.ガジャ- マダはその武功によりパティ(宰相)に登用される.
– 1320年代
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- 水力溶鉱炉
- ドイツのアウグスブルクで製材工場の登場
– 1328年
- ジャヤヌガラが暗殺され、クルタヌグラ王の娘であるガヤトゥリに王位継承権が移るも、彼女はすでに出家していたので、ヴィジャヤの娘であったトリブワナウィジャヤトゥンガデウィという娘が王位に就き、1350年まで即位する.
– 1330年代
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- ドイツのリューネブルがクレーンを発明
- イギリスのヨークで羊毛産業が成立
– 1331年
- ガジャ- マダがパティ、マジャパヒトの大宰相となり、国王に次ぐ合意の官僚の地位を得る.これにより、ガジャ- マダがマジャパヒト王国における政治の実験を握ることになる.
– 1333年
- パジャラン王国がマジャパヒトの後継国として興り、その首都を現在のボゴールの近くに置く.
– 1334年
- ハヤム- ウルクがトリブワナー- ウィジャヤトゥンガデウィのもとに生まれる.
– 1343年
- ガジャ- マダの軍がバリのペジェン王を討ち、バリをマジャパヒトの傘下に納める.
– 1344年
- アラブ人の旅人であり、作家でもあったバトゥッタがスマトラのパサイを訪れる.
– 1346年
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- クレシーの戦い(百年戦争)で銃が使用される
– 1347年
- メラウ王アディティワルマンがミナンカバウを統治する.
– 1350年
- ハヤム- ウルクがラージャサナガラとしてマジャパヒト王に即位.マジャパヒトがスマトラのイスラム王国であったパサイを征服する.
- ドイツ、ニュルンベルクで針金を引く機械の登場
– 1364年
- ガジャ- マダが死去する.ハヤム- ウルクは国政において非常に頼りにしていた人材を失うこととなる.マジャパヒトがパレンバンに海軍を送る.
– 1389年
- ハヤム- ウルクが死去、この頃からマジャパヒトの衰退が顕在化する.
- クスマワルダニ王女の夫であったウィクラマ- ワルダナが即位.一方、ハヤム- ウルクの妾の子であったウィラブミはジャワ島東端のブランバンガン地方を領土として与えられ、ウィクラマ- ワルダナ中央政府と良好な関係を保っていた.
インドネシアへのイスラムの伝来と受容
インドネシアにおける5大宗教の一つであるイスラム教はとりわけスマトラ地域で一般的であった.シンガサリ朝、マジャパヒト王国の時代に少数ではあるが、宮廷内にもムスリムがいたであろうと考えられている.イスラム教の大々的な布教や、改宗は国王による宗教の受容によって始まる.中でもアチェ王国、マラッカ王国は早い段階から改宗を行った王国であり、それ以外の数多くのジャワ地域は1500年代に入るまで改宗を行わなかった.
– 1400年
- アチェ王国がイスラム教に改宗する.
- 1400年ごろからウィクラマ- ワルダナ中央政府とウィラブミとの間に角質が生じる.
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- 潜水服の登場
- 朝鮮で可動活字による最初の本が出版
– 1401年
- マジャパヒトの後継を巡る内戦(パルクルグ)が始まり、以降4年にわたって続く.
- この内戦は、ウィクラマ- ワルダナが後継者としてスヒタを任命したことを快く思わなかったウィラブミが起こしたものであったが、ウィラブミ側の敗戦で終わる.
– 1402年
- マジャパヒト後継戦争、内戦(パルクルグ)で逃亡したパレンバンの王子、パラミソラによりマレー半島にマラッカが成立する.この地域はマラッカ海峡の交易路の端に位置していた漁村であり、戦略的な位置としての有用性から交易によって急速に発展した.
– 1404年
- パラミソラが北京に使節を送り、中国皇帝への従属を表明し保護を約束する.このころ、マジャパヒトはジャンビに影響力を持っていた、ゲルゲルの王がバリの首長として統治を開始する.
– 1405年
- パラミソラがイスラムに改宗し、イスカンダル- シャーと改名する.マラッカはイスラム教国となる.
- 当時のマラッカ海峡の交易活動はイスラム商人によって支配されており、商業活動もイスラム商業港に限定されていたことが改修の動機になっている.
– 1409年
- 中国の将軍チェン- ホーがマラッカを訪れる.
– 1410年
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- ロンドンで街灯の登場
– 1414年
- イスカンダル- シャーが死去し、息子のムハマド- イスカンダル- シャーが王位につく.彼の統治下(~1424)にて、マラッカ王国に支配地域はマレー半島全域にまで拡大する.
– 1420年
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- フォンタナによる速歩機の発明
- ヨーロッパで初の板目木版画
– 1424年
- ムザファト- シャーがムハマド- イスカンダル- シャーを王位から除き、そのままスルタンの称号を持つマラッカ王として即位する.
– 1427年
- スヒタ女王がウィクラマ- ワルダナからマジャパヒト王国を継承する.
- スヒタの統治以降は、あまり権威の振るわない国王による王政が続くようになる.
– 1440年
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- アゾレス諸島の発見
- アルベルディによる遠近画法
- ヨーロッパにおける近代的活版印刷
- 銅版印刷
– 1445年
- ヒンドゥー勢力によるイスラムへの反乱がマラッカで起こり鎮圧される.タイがマラッカに侵攻するも撃退される.
– 1447年
- スヒタの兄弟であったクルタウィジャヤがマジャパヒトの王となる.彼は妻、チャンパ(現在のベトナム)の姫であった、チャムパの助言によりイスラムに改宗する.クルタウィジャヤの甥であったスナン アンペルはスラバヤにイスラムを広めるよう働きかける.
– 1450年
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- 印刷によって代数学のすうしの普遍的記号体系が確立する
- アンチモンの発見
- 荷馬車のバネ
– 1451年
- クルタウィジャヤ王が殺害され、ラジャサワルデハナに取って代わられる.ラジャサワルダナはマジャパヒトにおけるイスラムの拡大に反対する.
– 1456年
- タイが海上からマラッカを攻撃するも、敗走する.プルワウィセサ王が3年間の政治的混迷期を経て、マジャパヒトの王となる.
– 1458年
- スルタン- ムザファト- シャーの死後、マラッカ王位は息子のスルタン- マンシュール- シャー王子に継承される.彼の統治下でマラッカ王国は急速に発展し、王国は東南アジア地域における交易の中心、イスラム布教の中心となる.
– 1459年
- マラッカのラジャアブドゥラがケダハとパハンをタイスから征服する.
– 1460年
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- レギオモンタヌスによる三角法
- カクストンがイギリスに印刷術を紹介
– 1466年
- シンバ- ウィクラマワルダナがマジャパヒトの王となる.
– 1468年
- マジャパヒトで反乱が起こる.クルタブミボールがスラプラバワをトゥマペルから追放する.スラプラバワはクディリのダハへと移る.
– 1475年
- テルナテとティドレがイスラムに改宗する.
– 1478年
- クルタヴィジャヤのひ孫であるキリンドラワルダナの統治下にあったダハ地域が反乱を起こし、マジャパヒト王国が混迷に陥る.クルタブミボールはデマクに逃れる.
- キリンドラワルダナが自身をマジャパヒトの統治者とする.
- マジャパヒトの王子であったラデン- パターがイスラム王国である、ドゥマック王国を設立する.
- マジャパヒトにおけるヒンドゥー教徒の多くがジャワを去り、バリに移る.
– 1480年
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- 運河の水門
- 火縄銃の導入
- 腐食銅版術
– 1482年
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- レオナルド・ダ・ヴィンチの活動が始まる(遠近画法、手押し一輪車、通話管、その他多くの設計)
– 1486年
- マジャパヒト王国が王宮をクディリに移す.
– 1492年
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- ムーア人がスペインから撤退する
- 数字の表記法が一般的に確立する
- 暗黒時代以降の最初の地球儀が作られる
– 1500年
- パレンバン地域がイスラムに改宗する.
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- 鉄のゼンマイでで動く最初の携帯時計
- 機械式種まき機
<参考文献>
✳︎ 1 Herman Suwanda. Pencak Silat Through My Eyes. Empire Books, 2006.
✳︎ 2 Colin Brown, A SHORT HISTORY OF INDONESIA THE UNLIKELY NATION. ALLEN&UNWIN, 2003.
✳︎ 3 イ- ワヤン- バドリカ著、石井和子監訳、桾沢英雄- 菅原由美- 田中正臣- 山本肇訳.『世界の教科書シリーズ20 インドネシアの歴史-インドネシア高校歴史教科書』. 明石書店, 2008.
✳︎ 4 桃木至朗著.『世界史リブレット12 歴史世界としての東南アジア』. 山川出版社, 2021年 2版12刷.
✳︎ 5 バックミンスター・フラー著、梶川泰司訳.『クリティカル・パス[新装版]』. 白揚社, 2017年 1版4刷.
©️ 2024 Kotaro Morita