10年以上付き合っているパートナーの好きな食べものを最近まで知らなかった
そもそも今までそういう話をしなかったのか、単に忘れているだけなのかわからないけれど、とにかくそんなことも知らなかったということが衝撃だった
好きだという素振りも見たことないし、積極的に食べていたという印象もない
家でよく作っていたらしいけれど、僕とは作ったことは多分無い
まだまだ、知らないことだらけだ
10年以上付き合っているパートナーの好きな食べものを最近まで知らなかった
そもそも今までそういう話をしなかったのか、単に忘れているだけなのかわからないけれど、とにかくそんなことも知らなかったということが衝撃だった
好きだという素振りも見たことないし、積極的に食べていたという印象もない
家でよく作っていたらしいけれど、僕とは作ったことは多分無い
まだまだ、知らないことだらけだ
「自身の願望に周囲の人間を引き寄せない」ということが僕が第一義のモラルとして敷いていることかもしれない
「時間が解決してくれる」というのは嘘だと思って生きてきたけど、今年、帰省をして改めてそのことを実感することになった
「時間が解決してくれる」は「依存」、「逃げ」があって、結局負い目になる
間違えること、恥をかくことも含め愚直に試行錯誤と模索している内に「時間が味方になる」感じが実際なんじゃないか
その過程で、良いことも悪いことも含め思いもよらないことが起こる
縁ができたり、切れたり、あったことが、なかったことになったり、許されたり、許したり、許されなかったり…色々なことがあるけれど、結局それらをどこまで自分事として受止められるか
翻って「ウマくやる」、「ウマくやっている」みたいな言い方でなされていることの多くは、一見「スマート」に見えたり、思えたりするけれど、その辺りのことがないがしろになっているんじゃないか
自分がどこで生まれ育ったかということについて、もっと自覚的じゃないといけないと思った
ある土地、自分なら東京で生まれて、東京で育ったということで、無自覚の内に身につけたルール・慣習・価値観…についてクリアなパースペクティブを持っておくこと
自己認識とか自分のルーツを知っておくとか、そういうことのためじゃなくて、そのことによって起こる衝突やその他の出来事を未然防いだり、収めるために
ペンチャック・シラットという武術を曲がりなりにもやっていると
「異なる文化圏の武術・武芸を、その文化圏外の人間が修めることはそもそも可能なのだろうか?」
というようなことを割と真面目に考えたりする
稽古をしていると、どこかに忘れていたような感覚や経験が出てくるように感じることがある
それが文化、民族、歴史性とかそういう枠の「中」のから出てくるなのか、それとも「外」のから来るものなのか、どうしてそれが自分と関係する出来事としてそこにあるのか
そういうことをたまに考えている
僕は昔から、何かを始めるとき後先を考えず思い立ったらとりあえずやってしまう傾向がある
何かを計画的に構想したり準備をしてやろうとすると、途端にうまくいかない
今の自身の稽古会を始める時もそうだった
やろうと思い立って、まず着手したのがこのホームページの作成だった
確か2日かくらいで、とりあえず形にして、あとは修正を都度加えていっている
その時に、この「投稿ページ」も作った
“Article”という表題をつけて、いずれはシラットに関する記事やこれまで調べてきたことなど、少しづつまとめて外に出していこうと考えていたのだけれど、ご覧の通り1年以上も何もせず放置してしまっていた
けれど今日、2023年12月29日、年の瀬のなんとも言えない半端な日に、ここに何か書いてみようと思い立った
いつものように、とりあえず始めてみようと思う